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三菱自動車、その失敗と挑戦の歴史


ランサー、パジェロなどの人気車種を製造し、根強いファンを持つ自動車メーカーが三菱自動車です。
  
あのスリーダイヤのエンブレムがついた車に憧れたり、2009年に撤退するまで、ダカール・ラリーでの活躍を楽しみにしていた人もいるのではないでしょうか。
  
三菱自動車は、愛知県岡崎市、岡山県倉敷市などに工場を所有しており、2017年における国内での生産台数は約58万台にのぼります。
  
ここでは、三菱自動車の発展とその歴史について紹介します。




三菱グループの創業は明治時代




三菱自動車は三菱グループという企業グループに属しています。
  
三菱グループの創業者は岩崎彌太郎です。
  
三菱の歴史は1870(明治3)年にさかのぼります。
  
この年に、土佐藩によって九十九商会という海運会社が設立され、土佐藩の出身であった岩崎彌太郎が監督にあたりました。
  
九十九商会は1873年に三菱商会という名前に改められ、以降も三菱蒸気船会社などに社名を変更しながら発展していきます。
  
岩崎彌太郎は鉱業、造船業、保険などにも手を広げ、三菱グループの基礎を築いていきました。
  
その後も彌太郎の弟である2代目の彌之助など、岩崎家の4代の社長によって三菱は成長していきましたが、第二次世界大戦後の財閥解体により三菱本社は解散、三菱各社は独立した企業としてスタートを切ることになります。
  
三菱の商号の使用が制限される時期などを経て、現在の三菱グループとして再び結集していきました。
  






三菱重工業からの独立と自動車製造の歴史




三菱の4代目社長であった岩崎小彌太は、三菱の各事業の分社化を進めました。
  
1917(大正6)年に造船部事業が独立して設立されたのが三菱造船で、1934(昭和9)年には三菱重工業と社名を改めています。
  
三菱自動車は、この三菱重工業から自動車部門が独立して生まれた会社で、発足は1970年です。
  
このため、自動車メーカーとしては新しい会社となりますが、自動車製造の歴史そのものは古く、三菱造船時代の1917年に、三菱造船神戸造船所で「三菱A型」を製作しています。
  
これは日本で初めての量産乗用車でした。
  
また、1960年に発売された「三菱500」は、三菱が戦後になってから最初に自社で開発した量産型の四輪乗用車です。






モータースポーツや電気自動車への挑戦と三菱自動車の成長




三菱は、1962年の第9回マカオグランプリレースにおいて三菱500を優勝させるなど、モータースポーツにも挑戦してきた長い歴史があります。
  
さまざまなレースに参戦することで、雪道など過酷な天候下での走行や、砂地などの荒れた道を安全に走るための技術を培い、それを量産車の生産にもフィードバックさせてきました。
  
この技術は三菱が得意とする4WDに活かされています。
  
また、1966年からは電気自動車の研究開発にも着手しています。
  
1999年には「FTO EV」という電気自動車によって、24時間で2142.3kmを走行するという記録を打ち立てるなど、着実に研究を重ねました。
  
そして、2009年に発表された「i-MiEV」により、ついに電気自動車の量産を開始しています。
  






ルノー・日産自動車との資本提携へ




しかし、度重なるリコール問題などで経営状況が悪化し、2005年には三菱自動車再生計画を発表して経営の再建を図る事態に陥ります。
  
その後黒字化したものの、2016年には日産自動車が筆頭株主となり、日産自動車の傘下として再スタートを切りました。
  
日産自動車は、フランスの自動車メーカーであるルノーと資本提携を結んでおり、日産自動車の傘下となることで、三菱自動車もルノー・日産自動車アライアンスの一員に加わることとなりました。
  
このように、経営の面では大きな転換期を迎えた三菱自動車ですが、明治時代から続く歴史ある大企業グループの自動車会社であり、三菱自動車だけでも1万人以上の社員が働く大手メーカーです。
  
福利厚生の面などからも、大手の自動車メーカーで働けるというメリットは大きいのではないでしょうか。


  
  
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